日本諸学振興委員会の設置
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1936年9月、日本諸学振興委員会が文部省訓令により設置される。訓令第1条は「国体、日本精神の本義に基き各種の学問の内容および方法を研究・批判し我が国独自の学問、文化の創造、発展に貢献し、ひいて教育の刷新に資するため、日本諸学振興委員会を設く」であり、学会や公開講演会などを開催することとされる。委員長は文部次官が兼ね、専門学務局長兼思想局長の伊東延吉が常任委員となる。 日本諸学振興委員会設置の背景には国民精神文化研究所が研究面において成果を出せず、学界からの評価も低いという事情があった。この点に気づいた文部省は、人文に関する学問の各科にわたって日本精神・国体観念を徹底させ、これを基として研究させる方策に転換し、既に刷新に着手している教育の分野に加えて、学問の分野についてもその刷新を盛んに唱導しはじめる。 日本諸学振興委員会の初回は教育学会である。文部大臣の挨拶によると、学問の統制を教育学から始める意図が込められ、それも個人主義や自由主義に基づく欧米流の教育学を否定し、国体・日本精神の本義に基づくものという枠に嵌められていることが分かる。
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