日本記録樹立とメキシコ五輪出場まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/13 15:41 UTC 版)
「佐々木精一郎」の記事における「日本記録樹立とメキシコ五輪出場まで」の解説
翌年の第16回別府毎日マラソン(1967年2月5日)では、2時間13分38秒で君原健二から5秒遅れの2位。12月3日に開催された第21回国際マラソン選手権(現・福岡国際マラソン)でも2位に入った。この大会では、優勝したデレク・クレイトン(オーストラリア)とともに重松森雄の持つ世界最高記録(2時間12分00秒)を更新し、当時の日本最高となる 2時間11分17秒0を記録した。クレイトンは人類初の2時間10分を切る世界新記録(2時間9分36秒4)で優勝したが、佐々木は後方集団からひとり追い上げ、28km地点でクレイトンに追いつき34kmまで並走する健闘を見せた。 続く第17回別府毎日マラソン(1968年2月4日)では 2時間13分23秒の大会新記録でマラソン初優勝を飾り、翌年のメキシコシティーオリンピック代表をほぼ手中にした。安定して好記録を出す22歳は若手のホープとしてメキシコでの活躍が期待された。
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