日本の教会堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:29 UTC 版)
キリスト教伝来(1549年)から徳川幕府によるキリスト教禁教までの期間、日本各地に建てられた教会堂は「南蛮寺」などと呼ばれたが、現存する建築物はなく、資料や出土遺物で確認できるのみである。その時代の「教会堂」は現代イメージされる西洋建築風でなく、仏教寺院の外観に緑の畳敷き、屋根の頂上に十字架を据え付けたようなものであった。本格的な西洋風教会が到来するのは幕末まで待たねばならない。 明治以降の文明開化にともない、西洋建築の技術が国内に入り、本格的な西洋風教会を造る機が熟してきた。古い時代のカトリックの教会堂は「天主(デウス)」にならい、「天主堂」とも呼ばれていた。長崎の教会群など、木造の素朴なものから、煉瓦積みのものなど、それぞれに信仰の形を映し出している。外国から来た宣教師が設計したもの、日本人が設計したものなど色々あるが、特に戦国期からのキリシタン伝統の残る、長崎を中心とした九州に数十件にのぼる天主堂建築を建てた鉄川与助の功績は大きい。 伝統的な様式を採用せずに、通常の建築物の手法で建築する、居抜き出店の形で利用する、テナントとして入居する場合も有る。
※この「日本の教会堂」の解説は、「教会堂」の解説の一部です。
「日本の教会堂」を含む「教会堂」の記事については、「教会堂」の概要を参照ください。
- 日本の教会堂のページへのリンク