日本における法社会学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:35 UTC 版)
日本の法社会学に先鞭をつけたのは末弘厳太郎である。末弘は、アメリカ留学時代に研究した社会学の成果を法解釈学に持ち込み、オイゲン・エールリッヒにならい実生活に内在する「生きた法」と国家が制定した「法律」を区別する立場から大正末期から昭和初期にかけて他に先駆け多数の論文を発表して法社会学の基礎を築いた。末弘は、「生きた法」である判例を研究し、その成果を「法律」の解釈に反映させることを主張した。この主張は、社会にある現実の紛争を分析することによってその成果を現行法の運営の改善に応用するものであり、法社会学の法解釈論における一応用であるといえる。その地位は、我妻栄を通じ、その弟子である川島武宜 、星野英一らへと承継され、現在も活発に議論がなされている。 上掲の流れとは別に戦後マルクス主義の立場から渡辺洋三ら多数の学者が研究を始めて隆盛し、長谷川正安、家永三郎らに影響を与えて、来栖三郎と第一次法解釈論争を引き起こすなど活発な議論がなされたが、その後学問としては没落した。
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