日本での儺の意味の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 16:27 UTC 版)
9世紀ごろには、桃の弓や祭文の用いられ方の変化などから、儀式の中で目に見える存在として登場することはない鬼を追う側であった方相氏や侲子(儺)が逆に、目に見える鬼として追われるようなかたちに儀式がうつりかわっていく様子が見られ、それと同時に儺(鬼)を追い払うといった意味で「追儺」という名称が日本で独自に発生していったと考えられている。追儺という呼び方は『延喜式』などにその使用が見ることが出来るが、それ以前の『内裏式』などでは大儺が用いられている。また方相氏たち「儺」の役割をもつ存在が日本の宮中儀式のなかで「鬼を払う者」から「鬼」へ役割が替わったことは、『公事根源』などの文献で方相氏を「鬼」であると表現している点などからもうかがうことが出来る。 歴史学者の神野清一や三宅和朗は、方相氏が追儺以外の行事(葬送の行事)にも魔除けの意味で用いられていたことを挙げ、死にまつわる点をもっていたことが方相氏を「鬼」と見る変化が宮中で起きたのではないかと論じている。
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