日本での公認競馬初期の特殊な事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:27 UTC 版)
「予後不良 (競馬)」の記事における「日本での公認競馬初期の特殊な事例」の解説
ベンテン号 1907年(明治40年)12月7日、目黒競馬場開設初日の第5競走でベンテン号はレース途中に足を怪我する。明らかに治る見込みのない怪我で、ベンテン号はその場で銃殺された。当時は日本の競馬黎明期で競馬運営を知っている日本人は少なかったので横浜競馬場から指導に来ていた外国人による処置である。馬の足を縛り間近からピストルで2発、眉間に打ち込み観客の目の前で馬場は血に染まったという。この光景を見ていた観客の中には婦人客も多く、また清の皇族もいたという。東京朝日新聞は、馬を苦しみから救うために殺処分すること自体は仕方ないとしても、大勢の観客の目の前で銃殺が行われたことを非行であると非難している。
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