既製服問屋街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 09:47 UTC 版)
「繊維問屋街 (岩本町・東神田)」の記事における「既製服問屋街」の解説
1923年(大正12年)9月の関東大震災でこの地区も大きな被害を受けた。また、震災復興の区画整理により、それまで営業していた古着の露天は取り払われた。さらに、第一次世界大戦後の洋服の急速な普及により、需要の中心が古着から洋服、特に廉価な既製服へ変わっていった。これらを要因として、この地区でも既製服を取り扱う店舗が増加し、既製服問屋街へと変貌していった。 昭和初期には、ダンスホール併設の4階建てビルが建設され、流行の先端を行く街として賑わった。しかし第二次世界大戦末期に空襲の被害を受けて、一帯は焼け野原と化した。 昭和30年代には東京の衣料業界も復興を果たし、技術の革新も進んでこの地は既製服の生産中心地としてよみがえった。ここで作られた既製服が日本全国でデパートなどのショーウィンドーに展示され、モードを発信する拠点となった。最盛期に比べて数は減ったものの、この地の繁栄の礎となったのは古着の露店に源を持つ繊維業者たちである。和泉橋の南詰には、「既製服問屋街発祥の地」という掲示板が存在する。
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