新聞小政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 20:15 UTC 版)
三河国渥美郡吉田紺屋町(現・豊橋市大手町)に、紺屋を営む安藤喜久治の長男として生まれる。 明治10年(1877年)に故郷を離れ、静岡で新聞販売業を始める。同13年(1880年)には横浜に移り、同地でも新聞販売を行う。 横浜時代の政次郎は刺子の半纏にわらじ履きといういで立ちで、日の丸の小旗2本を組んで飾った黒塗りの挟み箱に新聞を入れて肩に担ぎ、鈴を鳴らして新聞を売って回った。政次郎は小柄であったことから、当時の人びとからは「新聞小政」と呼ばれ、彼の写真が絵葉書になる等、評判となった。評判は東京にも伝わり、五代目尾上菊五郎が彼の姿をモデルに新富座の舞台に立つと観客はおおいに喝采し、その姿が錦絵に描かれ人気を一層高めることとなった。
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