新宿歌舞伎座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:59 UTC 版)
「新歌舞伎座 (東京)」の記事における「新宿歌舞伎座」の解説
なお、1924年(大正13年)に、四谷永住町(現在の四谷四丁目)に新築開場した大国座が、1929年(昭和4年)に椅子席に改装して「山手劇場」と改称されたが、これを松竹合名会社(のち松竹興業・松竹興行)が同年から1934年(昭和9年)まで賃借し、「新宿松竹座」と改称して洋画館・レビュー劇場として使用していたことがある。 松竹から新宿松竹座を返還された所有者はこれを元の名前である大国座に戻したが、この年上京した松尾國三が賃借して「新宿歌舞伎座」と改称、1937年(昭和12年)までの3年間経営した。松尾からの返還後「新宿シネマ」と改称して映画館となっていたが、1942年(昭和17年)に再び松竹が賃借、「新宿大劇場」と改称し、軽演劇・演芸の興行を始めた。1944年(昭和19年)に新宿松竹座に復名したが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失した後は再建されなかった。敷地はその後野村総合研究所が長らく所在していたが、現在はソフトバンクIDCの本社ビルになっている。 同じ新宿界隈にあること、どちらも「新宿松竹座」を名乗ったことがあること、「新歌舞伎座」と「新宿歌舞伎座」と名称も紛らわしいものであることなどから、両劇場はしばしば混同されるので注意するべきである。 松竹の「新歌舞伎座」は1934年(昭和9年)6月の新国劇公演のあと7・8月を休場して内部を改装し、「新宿第一劇場」と改称してSSK公演を開始したのが8月31日で、松尾の直営初興行が同年10月であるから、「新宿歌舞伎座」という名称は「商売人」の松尾が新歌舞伎座の客を吸収しようと狙ってつけた可能性はある。
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