新制高等学校の発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 09:22 UTC 版)
「大阪府立東高等学校」の記事における「新制高等学校の発足」の解説
1948年の学制改革により、全日制普通科高等学校の大阪市立東高等学校へ改編された。大阪市立汎愛高等学校(旧制汎愛中学校)と生徒を交換し、男女共学となった。 一方で大阪市では終戦直後、市立旧制中等学校について、学制改革に伴って暫定的に全学校を新制高等学校に移行させるが、戦災被害の影響などを考慮して適宜統廃合を進めて整理するとしていた。そのため近隣にあった船場高等女学校(船場高等学校)を東高等女学校(東高等学校)と同居させ、のち正式に合併している。一時「大阪市立東船場高等学校」と2校の校名を併称したこともあった。 1950年には当時東区(現・中央区)淡路町にあった大阪市立汎愛高等学校を合併し、東高等学校の北校舎とした。しかし汎愛高校側は再独立を希望し、2年後の1952年に大阪市立汎愛高等学校が独立・再開校している。 1952年には家庭技芸科(1963年被服科に改称)を併設した。しかし1978年に被服科を募集停止し、普通科単科となった。 1948年には定時制課程を設置した。定時制課程は1953年に独立校となり、大阪市立東第二高等学校と称した。東高校・東第二高校は当時、時間差で校舎を共有していた。
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