文化としての社会的受容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 14:49 UTC 版)
「バンド・デシネ」の記事における「文化としての社会的受容」の解説
バンデシネ(以下BD)の前史とされるロドルフ・テプフェールやギュスターヴ・ドレなど19世紀の絵物語は大人向けであったが、20世紀初頭より子ども向けの雑誌が主な掲載媒体になり、1960年代に「ピロット」「アラキリ(Hara-Kiri)」といった大人向けBD専門誌が登場するまで、約70年間はフランスではBDは子供のものと見なされ、厳しい検閲の対象となった(1949年に作られた「子ども向け読み物に関する法令」が現行法としてBDに適用されている)。1960年代までは、宗教上の理由、アメリカ大衆文化への警戒(BD誌にアメコミが多数掲載されていたため)、活字本離れへの警戒などからBD雑誌は悪書扱いされていたが、1970年代ころから子供の読み書きのための教育書として再評価されたものの、子供のもの=幼稚である、という偏見は根強かった。1960年代からBDの文化的正統性を主張する知識人・文化人の動きが見られ、1971年にはソルボンヌ大学で専門の講座が誕生し、学問の対象として認知されるかにみえたが、その後廃止された。ベルギーやドイツでは大学に専門の講座があるが、フランスでは主にアカデミック外での研究が盛んである。
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