敷地の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 19:26 UTC 版)
官邸の敷地は、17世紀後半、敷地内南側が越後村上藩内藤家中屋敷であり、敷地内北側は旗本屋敷から信濃飯山藩本多家上屋敷、丹後峰山藩京極家上屋敷へと移り変わった。明治維新後、一時、一橋徳川家が使用し、明治3年に鍋島家の所有となった。鍋島邸は関東大震災により大きな被害を受け、復興局へ売却された。1926年(大正15年)、震災復興に伴う中央諸官衙計画の一環として、旧鍋島邸跡地(旧麹町区永田町二丁目一番地)に総理大臣官邸を新設することとなった。旧官邸は1929年(昭和4年)に完成。当時は「内閣総理大臣官舎」と呼ばれており、門には表札がかかっていた。
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