敗戦・日本映画社の経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:35 UTC 版)
ニュース映画製作のための国策会社である日本映画社は、1945年8月の敗戦で運営の転換を迫られる。12月、日映は社団法人から株式会社組織へ再編。根岸は社長に就任するが人員整理問題で社内の混乱が生じる。その中でも演出家達は広島の原爆記録映画の製作を熱望。9月よりスタートした記録映画は翌年の4月に完成。数奇な運命をたどる映画『Effects of the Atomic Bombs』は現在、原版は日本の文部科学省が保管しているとされる。 財政的に苦しい日映は東宝との業務提携を選択し締結する。根岸は経営上の混乱の責任をとり1946年(昭和21年)9月に辞任。業務の引き継ぎに現れたのが渾大防五郎てあった。
※この「敗戦・日本映画社の経営」の解説は、「根岸寛一」の解説の一部です。
「敗戦・日本映画社の経営」を含む「根岸寛一」の記事については、「根岸寛一」の概要を参照ください。
- 敗戦・日本映画社の経営のページへのリンク