政府債務の転化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 23:50 UTC 版)
ミシシッピ会社の発行済株式の量は、1720年には50万株程度だった。すなわち株価が1万リーブルだった時の会社の時価評価額は50億リーブルとなる。株価が500リーブルまで崩壊した1721年9月時点では、時価評価額は2億5千万リーブルにまで下がった。ちなみに、当時のフランス政府の歳出規模は1億5千万リーブル(1700年)で、政府の負債額は16億リーブル(1719年)であった。 政府とジョン・ローは16億リーブルの政府負債の全てを会社の株式で買い上げることにした。この計画は成功した。政府の負債の債権者達は、債権や手形でこの株を購入し、1720年には政府の全負債はこの会社に移った(債権と資産の変換)。これによって、元の政府に対する債権者が今度はこの会社の所有者(株主)となったが、会社経営は政府によってコントロールされていた。政府は毎年3%にあたる4千8百万リーブルの利息を支払った。これによって、政府は歳入の10倍(GDPの約2~4倍)もの多額の債務の返済を一時的に免れ、債務免除されたような状況になった。この成功によって株価は高騰したが、その後1720年から1721年にかけて、この会社の市場からの資本調達が破綻した。 イギリスで南海泡沫事件が発生したのもこの時期である。こちらの場合、5千ポンドの政府負債の80%を南海会社が取得し、インド会社(ミシシッピ会社)の株価が最高値を記録したよりもほんの数ヶ月後の1720年8月に、株価が最高値1000ポンドまで上昇した。
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