放送からその後
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「フォルティ・タワーズ」の記事における「放送からその後」の解説
フォルティ・タワーズの構想は当初BBCの上役には良い評価を与えられなかった。当時はモンティ・パイソンの人気が強く、その延長線を期待していたのだが、全く違う路線に難色を示していたらしい。クリーズの構想を評価していたプロデューサーのジョン・ハワード・デイヴィスの助けでなんとか制作案が通った。30分の限られた時間にいろいろなプロットを詰め込むために秒単位、セリフの1行単位で構想が練られてリハーサルにはかなりの時間をかけられ、1975年に放送された。最初の評価は「まあまあ」くらいで、特に最初から人気が出ていたわけではないが、回を重ねるごとに人気は徐々に上がり、第1シリーズの終わり頃には大人気となっていた。クリーズは後に「全く新しい何かが受け入れられるには時間がある程度かかるのだろう」と語っている。 第1シリーズの6話は再放送が繰り返され、1978年までには17か国、45の放送局に放映された。新しいシリーズの要望が高かったが、第1シリーズの評価があまりにも高かったので、新しいシーズンで評価を下げないために時間を掛けて構想を練り上げ、1979年になってようやく放映された。また、このシリーズ放映の前年にジョン・クリーズとコニー・ブースは離婚している。この第1、第2シリーズを通して高評価を得て、イギリスコメディの傑作とまで言われるようになった。映画化のオファーは何度もあったが、クリーズは拒否し続けている。理由は「30分という限られた時間にできうる限りの伏線を詰め込んで最後にドッと笑わせる『フォルティ・タワーズ』の構成は長時間のため笑わせるポイントをいくつもこなさなくてはならないコメディ映画には向かない」と語っている。
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