支城・砦・館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 01:41 UTC 版)
春日山の周辺、約5〜6km程度の範囲内にある砦として、春日山から西へ伸びる稜線上に砦が列をなして並び、近いほうから番屋口砦・番屋砦・長沢砦・長浜砦・城が峰砦の順で並んでいる。北には沖見砦があり、南の複雑な地形のなかにトヤ峰砦・宇津尾砦・滝寺砦・中の俣砦の砦群、東の平地には長池山砦と東城砦および御館城があった。これら春日山を支える砦は、2km程度あるいは至近距離に番屋口砦・番屋砦・長沢砦・長池砦・東城砦があり、3km程では沖見砦・長浜砦・トヤ峰砦が配置され、4km程度で城が峰砦・宇津尾砦・滝寺砦・御館城があり、中の俣砦は5kmほどである。春日山から西に伸びる稜線上の砦はいずれも砦単体での運用を想定した構造ではなく、春日山と直接の連絡路があり、また戦闘を維持するには春日山からの支援を受けなければならない。また、これらの砦は春日山と反対方向からの攻撃に備えており、これらからこの砦群も広義の春日山城を構成しているともいえる。春日山城本体も大きな城であるが、これらの砦群を包括した広義の春日山城は広大な城であったともされる。 地域(分国)支配、また北陸・関東・信濃・揚北(下越)にわたる四方面戦線のため、長尾氏(上杉氏)は織田信長の方面軍にも似た諸国衆(越中衆・信濃衆など)の編成が見られる。河田氏などは支城のみでなく国単位で寄騎を統率し、また出自とは異なる分国に配置される場合もある。
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