拘束からの自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 16:49 UTC 版)
第1幕第2場でビストロウシュカが雌鶏たちに向かって行う、雄鶏からの解放を訴えるアジテーションは、実に興味深い。元来、抑圧からの解放は、ヤナーチェクの重要なモチーフであった。それは『利口な女狐の物語』の前作に当たるオペラ『カーチャ・カバノヴァー』のメイン・テーマでもあった(ヤナーチェクのテーマ参照)。結婚を拘束と捉えることは、たとえば本作の第2幕でビストロウシュカがズラトフシュビテークと巣穴に入ると、巣穴の前でトンボがダンスを踊る場面に現れている。実は第1幕でビストロウシュカが森番に捕まった時にも、やはりトンボが踊っていた。これはヤナーチェクにとって、結婚はすなわち囚われの身になることなのだという意味づけを象徴している。ズラトフシュビテークと出会う前の第2幕では森番の射撃からも逃げおおせた機敏なビストロウシュカも、囚われの身となった第3幕では夫と子供のために行商人の銃弾を受け、殺されてしまうのである。 夫や婚家の都合で抑圧され命を奪われる女性というテーマは、この時期のヤナーチェクを強く支配していた。この背後には、若い人妻カミラ・シュテスロヴァーへの強烈な思慕があった。彼女の結婚が(自分自身のそれと同様に)不幸なものであるというフィクションが彼の片思いを支えていた。しかし実際には、カミラの結婚生活は幸福なものであって、25歳(出会った1917年当時)の陽気で賢明なこの女性は、38歳も年上のヤナーチェクに対して、年長の友人に対する節度ある態度で接していた。「夫の支配から自由になれ」という訴えに対して雌鶏が耳を貸さなかったという物語は、滑稽で深刻な意味を持っている。
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