手力雄神社(岐阜市)と手力雄神社(各務原市)の関係
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各務原市の那加手力雄神社の祭神の天手力雄神は、戸隠神社の影響が強いといわれている。事実、本殿の軒に龍の彫刻があり、龍に関わる話が伝わっているが、これは戸隠神社の九頭竜社の影響という。 岐阜市の手力雄神社は、貞観2年(860年)、朝廷の宮中の祭神を分祀したもので、元々の祭神は伊勢神宮の天手力雄神であるという。手力雄神社は長森13ヶ村の郷社であり、那加手力雄神社は那加13ヶ村の郷社である。隣社という以外何の関係もない。
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手力雄神社(岐阜市)と手力雄神社(各務原市)の関係
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岐阜市の手力雄神社は、860年(貞観2年)創建とされるが、各務郡と厚見郡の有力者、各務吉雄と吉宗の手により各務郡の各務氏の氏神(各務原市の手力雄神社)を厚見郡に分祀したといわれている。別の説では、朝廷の宮中の祭神を分祀したものであり、元々の祭神は伊勢神宮の天手力雄神であるという。 各務原市の手力雄神社は「手力」の初見が永禄10年(1567年)のことで信長公が寄進した宝物に記載されるとのことで、その前には「長塚宮」文明7年(1475年)とある(これは拝殿北側の箱棟(1682年)には卍型が残っており神仏習合の名残りがある為混同したのではないか。)。古くは938年から956年に編纂された美濃国神名帳では「真幣明神」他、現在の相殿神の神名も見られ、古墳時代の後期(6世紀後半)の古墳も存在することから古い時代より神聖な場所として信仰があったことが窺い知れる。 岐阜市下川手には各務吉雄が祀ったと伝わる石切神社がある。こちらは各務氏の祖神(鏡作りの祖)石凝姥命を祀っているという。各務氏が天の岩戸に関わる神を佐良木郷八ヶ村山中に祀った(938年 - 1567年の間、実際には各務氏が勢力を持っていた頃なので前半頃)とすれば自然である。
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