戦時共産主義にたいする自己批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 07:23 UTC 版)
「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の記事における「戦時共産主義にたいする自己批判」の解説
本書でレーニンが主張した「農村におけるプロレタリア革命」は、戦時共産主義と呼ばれるものだった。その中心となった食糧徴発は農民の激しい抵抗に遭ったため、ボリシェヴィキは1921年に新経済政策への転換を余儀なくされた。レーニンは戦時共産主義を振り返って次のように述べた。 1918年には〔……〕われわれにふりかかってきた軍事的任務と、帝国主義戦争がおわったときに共和国の状態が絶望的だとおもわれたこととにいくぶん影響されて、これらの事情その他いくつかの事情に影響されて、われわれは、共産主義的な生産と分配に直接に移行することを決めるという誤りをおかした。農民は割当徴発によってわれわれに必要な量の穀物を提供するであろうし、われわれはその穀物を工場に配分しよう。こうして、わが国には、共産主義的な生産と分配が生まれるであろう、とわれわれは決めたのである。〔……〕この考え方は、われわれが以前資本主義から社会主義への移行について書いてきたことに、すなわち、社会主義的な記帳と統制の一時期がなければ共産主義の低い段階にうつることさえ不可能だという考えに、矛盾するものであった。
※この「戦時共産主義にたいする自己批判」の解説は、「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の解説の一部です。
「戦時共産主義にたいする自己批判」を含む「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の記事については、「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の概要を参照ください。
- 戦時共産主義にたいする自己批判のページへのリンク