戦後国内政治の体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 14:29 UTC 版)
「イギリスの歴史」の記事における「戦後国内政治の体制」の解説
イギリスでは第二次世界大戦終了直後に保守党と労働党の挙国一致内閣が解消され、チャーチル率いる保守党政権は選挙管理内閣となった。1945年7月に行われた戦後初の総選挙においてクレメント・アトリー率いる労働党が勝利した。イギリスの憲政史上初めて労働党が議席の過半数を占有し、アトリーはこれを背景にして安定した労働党単独政権を組織することができた。自由党はこの選挙において決定的に失落し、以降イギリスの二大政党制は、保守、自由の二大政党制から保守、労働の二大政党制へ完全に移行した。なおこの政権交代はポツダム会議の会期中に行われたため、アトリーはチャーチルに代わってポツダム会議に参加することになった。 労働党による戦後再建策は大きく分けて2つあり、1つは「ゆりかごから墓場まで」と言われる「大きな政府」による福祉国家政策と、石炭、鉄道、通信など基幹産業の国有化であった。これらの政策は、この時点では第二次世界大戦において壊滅的な打撃を蒙ったイギリスの復興に対して、一定の効果を持っていたと評価される。また労働党政権はインド、ビルマ(ミャンマー)、セイロン(スリランカ)などの独立が容認され植民地帝国が崩壊する契機になった。
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