慰霊碑・遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 02:17 UTC 版)
「三菱重工業長崎兵器製作所」の記事における「慰霊碑・遺構」の解説
原爆供養塔(長崎市文教町、旧大橋工場敷地内)地図三菱重工業長崎造船所の被爆した職員らが、原爆で犠牲となった旧三菱兵器の職員・工員を慰霊するために1952年(昭和27年)8月9日に建立。供養塔には旧大橋工場で実際に使用されていた御影石の定盤が用いられている。 長崎原爆七高戦災学生追悼碑(長崎市白鳥町白鳥公園内)地図1945年4月より三菱兵器に動員され爆死した、鹿児島の第七高等学校造士館の学徒14名を偲ぶために同校の同窓生らにより1975年(昭和50年)8月9日に建立された。追悼碑がある白鳥公園は、同校の学徒らが寝泊まりした三菱兵器の西郷寮があった場所である。 その他、旧大橋工場正門(現在の長崎大学東門)近くに、同工場の用地買収の際に建てられたとされるコンクリート製の標柱が遺されている。 大橋工場の供養塔 白鳥公園の追悼碑 大橋工場跡地の標柱
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