感度の高い水平振り子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 06:35 UTC 版)
「エルンスト・フォン・レボイル・パシュウィツ」の記事における「感度の高い水平振り子」の解説
1885年、カールスルーエ工科大学の助手として働いていたとき、カール・フリードリッヒ・ツェルナーの振り子に興味を持った。1886年、カールスルーエの天文台で天体の影響による測鉛線の振動を測定することを目的に水平振り子の設置を始めた。しかし、その振り子は水平方向の加速度にも感度が高いように見えた。 地面の運動を印画紙に連続的に記録した最初の人物である。1886年から1895年の間に3つの振り子モデルを開発した。3つの製造業者と協力した(1886年にFecker振り子、1888年にRepsold振り子、1894年にStückrath two-component model)。 振り子の1つをポツダムに2つ目の振り子を北海近くのヴィルヘルムスハーフェンに設置した。振り子は想定される太陰潮汐による地面の水平運動を測定するように設計された。1889年4月17日、日本の東京近くで強い地震が起こったときに両方の計器の垂直軸で非常に強いふれを記録した。この衝撃が東京で記録されてから64分後にポツダムとヴィルヘルムスハーフェンの計器で乱れを観測した。これは地震波が地球内部を通ってその5000マイル以上の距離を1秒間に1マイル以上の平均速度で進んだことを意味している。レボイル・パシュウィツは地球内部を通過した地震の震動を検出した最初の人物となった。局所的な地震の揺れはそれより前に数度記録されていたが、遠く離れた地震の波が記録されたのはこれが初であった。強い地震が遠く離れた場所で記録できるという認識は地震学と地球内部の物理学の分野における現代の到来を後押しした。 この観測は地震学が地域的な科学から世界的な科学へと変化したことを示し、近代的な観測地震学の科学の先駆けとなった。
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