思想の自由と「兼容並抱」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 09:03 UTC 版)
蔡元培は北京大学学長として、思想の自由と「兼容並抱(けんようへいほう)」(全てのものをことごとく包容するという意味)の原則を貫き、あらゆる学派を平等のベースに立たせて自由に競争させようとした。その方針に基づき、進歩派だけでなく保守派であっても学識の高い人材を積極的に招聘した。清朝の遺臣を自任し、生涯を辮髪で通した英文学者の辜鴻銘、袁世凱の帝政復活のための御用機関の発起人に名を連ねたことのある経学者の劉師培などが、その代表的な人物である。 進歩派の教員の中にはこうした蔡の方針をいぶかしむ者もいたが、陳独秀は胡適への手紙にこう書いて支持を表明している。「いま、保守的になっている人も昔は進歩派であった。いまの革新派も将来は保守派になる可能性がある。…保守と革新は相対的なものであり、新旧の争いは絶え間ない。各派の個性の発展を阻害しないのが、学術の自由である。」 思想の自由を擁護し、学術の健全な発展を願う蔡の真摯な姿勢は、やがて保守派の教授たちの尊敬をもかち得ていった。五・四運動に絡んで蔡が辞表を提出した際、擁帝派の辜鴻銘までが「蔡先生は、本学の皇帝陛下でございますから」と言って慰留した。
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