思弁的唯物論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 22:05 UTC 版)
カンタン・メイヤスーは相関主義を批判する際に、カント哲学の中心には2つの原理があると主張している。1つ目は、相関の原理(Principle of Correlation)であり、我々は思考と存在の相関物しか知ることができない、つまり相関物の外部は不可知であるとする原理である。2つ目は、事実性の原理(Principle of Factiality)であり、物事は実際にそうなっているのとは異なった仕方でもありえたとする原理である。この原理は、物自体は不可知ではあるが想像可能であるという議論を擁護する際にカントが用いたものである。我々は実在を決して知ることはできないとしても、その実在が根本的に異なったものであると想像することはできる。メイヤスーによれば、これらの原理をどちらも擁護することで「弱い」相関主義が導かれる(例:カント、フッサール)。一方で、物自体を拒絶することにより、「強い」相関主義が得られる(例:ウィトゲンシュタイン、ハイデガー)。この「強い」相関主義にとって、思考と存在の相関物の外部に何かを想定することは無意味とされており、したがって事実性の原理は破棄され、強化された相関の原理に置き換えられる。 メイヤスーは相関の原理を拒否する上で別の戦略をとっており、ポスト・カント的なヒュームへの回帰によって強化された事実性の原理を支持している。この原理を擁護する上で、メイヤスーはすべての物理法則のみならず、無矛盾律を除く全ての論理法則においても必然性という概念を拒絶している(無矛盾律が保持される理由は、これがないと、物事は常に、実際そうである仕方以外でもありえるという事実性の原理が成立しなくなってしまうからである)。充足理由律を拒絶することにより、物理法則における必然性を正当化するものは何もなくなる。つまり、宇宙がこのような仕方で秩序だっており、他の仕方で存在することはありえなかった、という理由は何もなくなるということである。メイヤスーはカント的ア・プリオリを拒絶し、ヒューム的ア・プリオリをそれに代わって採用する。そして、因果性についてヒュームから学ぶべき教訓とは、「まったく同じ原因は、100個(あるいはもっとたくさん)の異なる出来事を実際に引き起こしうる」 ことだとする。
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