思弁的実在論「運動」の存在に関する論争
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「思弁的実在論」の記事における「思弁的実在論「運動」の存在に関する論争」の解説
2011年3月に掲載された『Kronos』誌のインタビューにて、レイ・ブラシエは「思弁的実在論運動」の存在を否定しており、自分はそのようなキャッチフレーズを用い続ける論者とは一切関わりを持たないと断言している。 「思弁的実在論運動」なるものは、私が全く共感を抱かないアジェンダを掲げるブログ執筆者たちが抱く妄想の中にしか存在しません。汎心論的な形而上学とプロセス哲学を少々まぶしたアクターネットワーク理論を支持するブログ執筆者たちのことです。インターネットが真剣な哲学的議論のメディアとして適切だとは信じておりませんし、またブログを使ってネット上で哲学的運動をでっち上げ、何でも信じこみやすい大学院生たちの方向を誤った情熱を搾取することが許されるとも思いません。ドゥルーズは、つまるところ哲学の最も基本的な課題は愚かさを妨げることだと言っていますが、私はそれに賛成します。なので、ネット上で愚かさの乱交を生み出したことが最大の達成であるような「運動」に、哲学的な利点はほとんど見出すことはできません。
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