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志道保亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 14:24 UTC 版)

志道 保亮
生誕 1884年7月1日
日本 山口県萩市
死没 (1968-11-18) 1968年11月18日(84歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1904年 - 1935年
最終階級 陸軍少将
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志道 保亮(しじ やすすけ[1]1884年明治17年)7月1日[2] - 1968年昭和43年)11月18日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[1]

経歴

山口県萩市出身[3]陸軍士官学校第16期卒業[1]1920年(大正9年)8月に陸軍歩兵少佐に進級し、1923年(大正12年)9月時点で第5師団参謀の任にあった[4]1924年(大正13年)8月に陸軍歩兵中佐に進級と同時に歩兵第11連隊附となり[5][6]1927年(昭和2年)7月に仙台陸軍教導学校学生隊長に就任した[7]

1929年(昭和4年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に神戸連隊区司令官に着任した[1]1932年(昭和7年)4月に歩兵第23連隊長(第6師団・歩兵第36旅団)に転じ[1]満州事変に出動[2]熱河作戦、関内作戦で活躍した[2]1934年(昭和9年)3月5日に陸軍少将進級と同時に歩兵第32旅団長(第4師団[8][9])に着任[1][2]1935年(昭和10年)8月1日に待命となり[2]8月28日に予備役に編入された[1]

予備役編入後の1939年(昭和14年)10月には国民精神総動員中央連盟より派遣され、北海道旭川市札幌市函館市で開催された講演会で講師を務めた[10]。さらに陸軍士官学校第16期の同期生会幹事を務めた[11]1968年(昭和43年)11月18日慶応義塾大学病院で死去[11]

脚注

参考文献




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