徽宗とその他の花鳥画家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)
「中国の絵画」の記事における「徽宗とその他の花鳥画家」の解説
趙佶(ちょうきつ、1082 - 1135年)は北宋の第8代皇帝徽宗である。彼は為政者としては無能であったと評されるが、文化の振興には力を入れた。各地から書画骨董を集め、『宣和画譜』などの宮廷所蔵品目録を作った。また宮廷画院の充実を図ったことでも知られる。彼は自らも書画をよくし、書は痩金体(そうきんたい)という独特の細く鋭い筆線による書体を使用した。絵については『搗練図』(唐・張萱の原画の模写、ボストン美術館)、『五色鸚鵡図巻』、『桃鳩図』(日本個人蔵)などの伝承作品があるが、鈴木敬は徽宗の画には代筆画が多く、真作はおそらく現存しないであろうと述べている。 趙昌(ちょうしょう、生没年不明) - 北宋初期の花鳥画家。四川広漢(剣南)の人。没骨の折枝画を得意とした。 崔白(さいはく、生没年不明) - 北宋画院の画家。濠州(安徽)の人。熙寧期(1064 - 1077年)に画院の芸学の地位にあった。花鳥画をよくしたが、人物、山水も描いた。代表作に『双喜図』(台北故宮博物院)がある。 呉元瑜(ごげんゆ、生没年不明) - 徽宗の絵画の師であった画家。ただし、呉元瑜本人については、伝承作品もほとんどなく、画風も定かでない。
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