得宗専制
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得宗専制(とくしゅうせんせい[1]/とくそうせんせい)は、鎌倉幕府において執権を務める平氏一門の北条氏の惣領である得宗に幕府権力が集中して専制政治が行われたこと、またその時期を指す。鎌倉幕府の歴史を3つに分けた場合、源氏将軍・執権政治に続く第3の時期にあたる。
注釈
- ^ “得宗専制”の概念を初めて打ち出したとされる佐藤進一は、霜月騒動を得宗専制の始期と捉え、それ以前を「過渡期」と捉えている。これに対して、上横手雅敬は宮騒動を得宗専制の始期と捉え、霜月騒動までの時期を「得宗専制の第一段階」とする。五味文彦は基本的には佐藤説に近いが、安達泰盛を得宗権力の一員(外戚)と捉え、時宗死去を契機として得宗専制は確立され、霜月騒動は得宗権力内の抗争と捉える[2]。近年細川重男は、時宗が二月騒動以降将軍固有の権限で本来他者に譲りえない「御恩沙汰(将軍が御家人に恩賞として所領を与える行為)」と「官途沙汰(将軍が御家人の官位官職を王朝に推挙する行為)」を掌握したのを画期と考え、執権に将軍固有の権力を上乗せした「将軍権力代行者」の地位を「得宗」と定義し、二月騒動から時宗卒去までの十二年間を真の意味での「得宗専制政治」と論じている[3]。
出典
- ^ 細川重男、本郷和人 「北条得宗家成立試論」 『東京大学史料編纂所研究紀要』11号 東京大学史料編纂所、2001年、9頁。
- ^ 五味、「国史大辞典」
- ^ 『鎌倉幕府の滅亡』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー316〉、2011年、49-50頁、ISBN 978-4-642-05716-5。『北条氏と鎌倉幕府』講談社〈講談社選書メチエ〉、2011年、ISBN 978-4-06-258494-4
- ^ 細川重男『鎌倉幕府の滅亡』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー316〉、2011年、51-52頁
- ^ 細川重男『鎌倉幕府の滅亡』 126-133頁
- ^ 『鎌倉幕府の滅亡』142-145頁
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