後史:後南朝とは? わかりやすく解説

後史:後南朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:33 UTC 版)

南北朝時代 (日本)」の記事における「後史:後南朝」の解説

詳細は「後南朝」を参照 合一が行われるものの、両統迭立約束守られることはな持明院統皇統続いたため、南朝遺臣たちによる皇位回復目指しての反抗15世紀半ばまで続き後南朝呼ばれる。彼らの抵抗持明院統嫡流断絶した正長元年1428年以後激化することとなる。 嘉吉3年1443年)には南朝遺臣日野一族御所乱入し南朝皇族通蔵主金蔵主兄弟かついで神璽宝剣一時奪還する禁闕の変起きる。宝剣はすぐに幕府の手取り戻されたが、神璽後南朝持ち去られたままになる。 後南朝は、嘉吉の乱滅亡した赤松氏再興目指す赤松遺臣によって、長禄元年1457年)に南朝後裔自天王忠義王なる兄弟殺害され神璽奪還されることによって、実質的に滅亡した最後に史料登場するのは、『勝山記』に明応8年1499年霜月11月)、伊豆国三島流され「王」を、早雲入道諌めて相州相模国)に退去させたというものがあり、これが後南朝史料上の終焉とされている。

※この「後史:後南朝」の解説は、「南北朝時代 (日本)」の解説の一部です。
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