征韓論を勅旨で収める
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:27 UTC 版)
明治6年(1873年)に征韓論を巡って政府部内が紛糾した明治六年政変では、勅旨を出して西郷隆盛の朝鮮派遣を中止させてこれを収め、明治7年(1874年)から同8年(1875年)にかけて続いた自由民権運動では、立憲政体の詔(漸次立憲政体樹立の詔)を発して政体改革を進めるなど、天皇は政府内部の政治的対立を調停する役割を果たした。この自由民権運動への対応として、明治14年(1881年)には「国会開設の勅諭」を発して帝国議会(上院:貴族院、下院:衆議院)創設の時期を明示し運動の沈静化を図った。 また士族反乱が激化した際、下野した西郷らが西南戦争を起こして逆賊となり、新政府軍はこれを鎮定した。そしてこれが日本史上最後の内戦となっている。
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