当社に纏わる伝説とは? わかりやすく解説

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当社に纏わる伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 17:17 UTC 版)

雲見浅間神社」の記事における「当社に纏わる伝説」の解説

祭神磐長姫尊は、富士山および富士山本宮浅間大社祭神である木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと)の姉であり、大山祗命おおやまつみのみこと)の娘である。 姉の磐長姫尊は醜だが妃に娶ればその子は岩のような長命授かり一方妹の木花開耶姫命絶世の美女だがその子の命は花のように短い、とされていた。天孫である瓊瓊杵命ににぎのみこと)は、葦原中国あしはらのなかつくに日本のこと)に降臨し木花開耶姫命一目惚れし大山祗命は姉の磐長姫尊も共に妃として差し出したが、瓊瓊杵命磐長姫尊を疎んじて大山祗命の許へ返してしまった。この神話古事記日本書紀などにも見られるが、これを悲しんだ磐長姫尊は雲見隠れ住み仲良しだった姉妹互いに憎み合うようになってしまったという。 本居宣長の『古事記伝』には、「美人の妹(富士山)に嫉妬した醜女の姉(烏帽子山)が雲見逃れて小さな岩山祀られ、優しい妹は姉を心配して背伸びをして捜したのでますます背が高く美しくなった」との伝説記されている。また地元には「烏帽子山晴れ時には富士山隠れ逆に富士山晴れ時には烏帽子山付近天候悪くなる」とか、「烏帽子山に登って富士山誉め賛えると海中振り落とされる」といった伝説があるため、地元の人は富士登山忌み、また「富士」という言葉永く禁句であったという。 またこれらとは別に木挽き善六」の伝説もある。昔、岩科村現在の静岡県賀茂郡松崎町岩科)に善六という木挽きがあった。大男大飯喰らいであったが、木挽きとしての腕は振るわず日頃木挽き仲間子供達からも馬鹿にされていた。それを口惜し思った善六一念発起し当社21日断食祈願をかけて霊力得た上達した善六天城(あまぎ、伊豆地方のこと)は勿論、江戸にまでその名を知られる立派な職人になったという。善六試し斬りをしたとされる大岩が現在も山中に残る、とされる慶応2年1866年)『雲見神社参詣記によれば例祭の日になると普段は見ることがない体長一丈余(約3m)のシュモクザメ大きなウミガメ海上に姿を現し一日中烏帽子山に添って回遊するという。

※この「当社に纏わる伝説」の解説は、「雲見浅間神社」の解説の一部です。
「当社に纏わる伝説」を含む「雲見浅間神社」の記事については、「雲見浅間神社」の概要を参照ください。

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