当社境内のかつての姿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 07:10 UTC 版)
かつて辺りは東南西方を水田に囲まれ、その中央の一丈程高い所に当社が鎮座していた。また、境内は船の形をしていて数十に及ぶ樫の古木が繁茂し、参道中央には船の帆のように銀杏の大木が立っており、「舟形の森」「樫の森」とも呼ばれていた。しかし現在ではその銀杏もなく、地形の変動などもあってかつての面影は見られなくなっている。一方で、当社の地形が前方後円墳にも似ていることから昭和37年(1962年)8月に社殿東側の発掘調査が行われ、縄文時代後期の「平地式住居址」が発見されている(詳細は後節「#鈴鹿遺跡」を参照)。さらに、境内の樫の古木は古いもので樹齢900年ともいわれ座間市原始林の一部となっている。
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