強硬派スターリン主義者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:09 UTC 版)
「ヴァルター・ウルブリヒト」の記事における「強硬派スターリン主義者」の解説
ウルブリヒトの性急な社会主義政策は、他方で急速な農業集団化や国有化で経済の混乱を引き起こした。自営農民達の西ドイツへの逃亡や軍需に応えた重工業への傾斜生産などから食糧・日用品の不足を招き、東ドイツの生活水準は急低下した。東西ベルリンを通じた国民の脱出を防ぐため、1961年にはベルリンの壁建設に至っている。彼は取材に対し「西ベルリンを囲う計画などない」と強力に否認したものの、そのわずか2ヵ月後の8月13日から壁の建設が開始されている。彼は1968年のチェコスロヴァキアの改革運動「プラハの春」に強い懸念を示し、ワルシャワ条約機構軍による8月の軍事介入とその後のチェコスロヴァキア国内の抑圧に賛同するなど、強硬なスターリン主義者として西側には見られていた。しかしスターリンとは違い、ウルブリヒトは自身に対する個人崇拝は確立しなかった。
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