張作霖への不満とは? わかりやすく解説

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張作霖への不満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 22:48 UTC 版)

郭松齢」の記事における「張作霖への不満」の解説

1924年民国13年9月第2次奉直戦争勃発し郭松齢は鎮威軍第3軍軍長兼第6師師長に任ぜられる。郭の貢献もあって、奉天派勝利を収めた張学良郭松齢は京駐軍正副司令任命されている。しかし、この時に鎮威軍総司令部参謀長総司令張作霖となった楊宇霆は、郭を最大政敵見做してその排除目論むようになり、両者対立深める。また郭は張作霖に対しても、その戦争継続方針に不満を抱いていた。これらのことから、第2次奉直戦争の間に郭は早くも馮玉祥連絡取り合い張作霖打倒を図る動き見せている。 1925年民国14年10月郭松齢日本軍事視察のため訪問した。しかしこの時、軍事的拡張続け張作霖後ろ盾日本があり、張作霖日本様々な便宜図っていると知る。そのため、郭はますます張作霖日本への不信反感募らせた。同月帰国し張学良委託を受け天津第3方面軍(3個軍で構成)を組織するあわせて郭は、第10軍軍長任命された。 11月、奉軍と馮玉祥率い国民軍との衝突発生すると、郭松齢張作霖から国民軍討伐命じられたが、郭はこれを拒否黄花七十烈士林覚民の兄で中華民国臨時約法制定したことで知られていた林長民秘書長とし、張作霖楊宇霆討伐しようと図った。しかし、林長民1924年に『日本人告ぐ』(原題:『敬告日本人』)という書を公表して日本対中政策批判していた為、郭松齢関東軍敵対的看做されることになった。さらに郭松齢張学良をも擁す計画抱いていた。しかし張学良は、郭の内戦停止という主張には賛同していたものの、兵変実行には反対であった

※この「張作霖への不満」の解説は、「郭松齢」の解説の一部です。
「張作霖への不満」を含む「郭松齢」の記事については、「郭松齢」の概要を参照ください。

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