弥富相生山線問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:22 UTC 版)
相生山の中心付近、南北に山を分断するように都市計画道路を渡す計画が、1957年(昭和32年)に起こった。 1993年(平成5年)には都市計画事業認可を受け事業着手。近隣住民の反対の声や専門家のアドバイスなどにより、2004年(平成16年)には環境に配慮するという形で計画変更を若干したものの、工事は進められた。総工費は36億円。 2009年(平成21年)には名古屋市長による対話集会を行い、全体の8割にあたる700mまで工事が進んでいたものの、2010年(平成22年)には工事が中断された。そして完成予定だった2014年(平成26年)に弥富相生山線の道路事業は廃止し、公園として整備することが決定した。高架部分に関してはニューヨークの実例を参考に空中公園にするなどの案も出されている。 しかし、道路工事の大部分が完了しているため、相生山の環境への影響や、今後の用途、巨額の税金投入してまでの工事を途中で中断し廃止にするなどのことに対して、議論は今もなお続く。
※この「弥富相生山線問題」の解説は、「相生山」の解説の一部です。
「弥富相生山線問題」を含む「相生山」の記事については、「相生山」の概要を参照ください。
- 弥富相生山線問題のページへのリンク