延命寺と「大坂の陣」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 02:23 UTC 版)
「延命寺 (愛知県南知多町)」の記事における「延命寺と「大坂の陣」」の解説
亀崎(半田市亀崎町)の水軍の将・稲生重政は1614年(慶長19年)、大坂の陣に船団を率い参戦。大阪木津川の中州(博労淵)で豊臣軍と対峙した(博労淵の戦い)。その後、豊臣方の御座船をおさえ、大坂丸(『洛中洛外図屏風』を収蔵)をはじめとする敵船を奪取。稲生重政は高い戦功をあげ、徳川家康から直接褒美を賜るなど武勇をとどろかせた。稲生重政は母の実家である千賀家(師崎の領主)に身を置き、師崎の丘から眺める海を好み、大坂の陣以降を師崎の地で過ごす。遺言通り稲生重政の墓は延命寺の海の見える高台に置かれ、現在もその場に建っている。その場から、天気の良い日は富士山を見ることができる。
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