庚申山の妖猫退治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:36 UTC 版)
荒芽山の離散後、諸国を巡った現八は、文明12年(1480年)9月に下野国網苧(あしお)を訪れ、庚申山山中に住まう妖猫の話を聞く。期せずして庚申山に分け入った現八は妖猫と遭遇し、弓をもって妖猫の左目を射る。現八が山頂の岩窟で会った亡霊は赤岩一角を名乗り、自らを殺した妖猫が「赤岩一角」に成り代わっていることを語り、妖猫を父と信じて疑わない犬村角太郎(犬村大角)に真実を伝えるよう依頼する。また、一角は大角が現八と同じ因縁に連なることも告げる。山を降りた現八は、麓の返璧(たまがえし)の里に大角の草庵を訪う。大角の妻である雛衣の腹は懐妊の模様を示しており、身に覚えのない大角は不義を疑って雛衣を離縁、自らは返璧の庵に蟄居していたのであった。 偽赤岩一角(実は妖猫)は、後妻に納まっていた船虫とともに大角を訪れ、雛衣を復縁させた。これは偽一角が目の治療のために孕み子の肝とその母の心臓とを要求するためのものであった。大角は孝心に迫られて窮したが、夫を救い自らの潔白を明かすために雛衣は割腹する。その腹中からは珠が飛び出して偽一角を撃った。以前雛衣が病となった際、大角は珠をひたした水を飲ませたのだが、雛衣は珠を誤飲してまい、その後懐妊と見られる様子が現れたのであった。大角は現八とともに正体を現した妖猫を退治した。大角は妻の喪に服し、家財を処分して、文明13年(1481年)2月に現八とともに犬士として故郷から旅立つ。
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