広州富力とは? わかりやすく解説

広州城足球倶楽部

(広州富力 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 08:21 UTC 版)

広州城足球倶楽部
原語表記 广州城足球俱乐部
愛称 阿根力、Blue Lions
クラブカラー    
創設年 1986年
解散年 2023年
ホームタウン 広東省広州市
ホームスタジアム 越秀山体育場
収容人数 18,000
運営法人 富力地産
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
広州城足球倶楽部
各種表記
繁体字 廣州城足球俱樂部
簡体字 广州城足球俱乐部
拼音 Guǎngzhōu chéng Zúqiú Jùlèbù
発音: グゥァンヂョウ チォン ズーチィゥ ジュラブー
英文 Guangzhou City Football Club
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広州城足球倶楽部漢音読み:グゥァンヂョウ チォン ズーチィゥ ジュラブー(中国語: 广州城足球俱乐部)は、中華人民共和国広東省広州市をホームタウンとしていたプロサッカークラブ。

概要

1986年創立。ホームタウンは広東省広州市である。ホームスタジアムは広東省広州市越秀山体育場(収容人員は18,000人)。中国超級リーグにおいてのリーグタイトルはない。

歴史

1986年

瀋陽足球倶楽部(沈阳足球俱乐部)として発足。

1994年

瀋陽東北六薬足球倶楽部(沈阳东北六药足球俱乐部)に改名。

1995年

瀋陽華陽足球倶楽部(沈阳华阳足球俱乐部)に改名。

1996年

瀋陽海獅足球倶楽部(沈阳海狮足球俱乐部)に改名。

2001年

瀋陽金徳足球倶楽部(沈阳金德足球俱乐部)に改名。ホームスタジアムの瀋陽五里河体育場も、正式には「瀋陽五里河金徳体育場」と命名される。

2004年

超級リーグ開始当初より参加。

2007年

湖南省長沙に移転。長沙金徳足球倶楽部に改名。

2010年

2010年度リーグで最下位となり、甲級リーグへ降格。

2011年

2月にアメリカのスポーツ製品会社がスポンサーとなり深圳鳳凰足球倶楽部(深圳凤凰足球俱乐部)に改名し深圳に移転したが、6月に広州の不動産会社がスポンサーとなり、広州富力足球倶楽部(广州富力足球俱乐部)と再び改名し広州に移転することになった。中国甲級リーグで2位となり超級リーグに昇格。

2014年

17勝6分7敗67得点39失点の勝点57で3位。AFCチャンピオンズリーグ2015のプレーオフの出場権を獲得した。

2015年

コスミン・コントラが監督に就任。

呉坪楓が引退。ダヴィ上海上港、許博が石家荘、朱宝傑が貴州人和へ移籍した。

北京国安から于洋、梅県客家から叶楚貴、杭州緑城から汪嵩ヘタフェCFからミチェル上海申鑫から劉殿座、大連阿爾濱から金洋洋を獲得。

AFCチャンピオンズリーグの本戦をかけて予選2回戦から広州富力は出場した。2月10日、AFCチャンピオンズリーグ2015の予選2回戦ホームでシンガポールのウォリアーズFCと戦い3-0で勝利した。2月17日にはAFCチャンピオンズリーグ2015のプレーオフラウンドで本戦出場をかけてアウェイでオーストラリアのセントラルコースト・マリナーズFCと戦い3-1で勝利し、初の本戦出場を果たした。

AFCチャンピオンズリーグ2015ACL初出場すると予選でG大阪城南ブリーラムのグループFに入った。7月15日川崎フロンターレのブラジル人FWレナトを獲得することで合意したことをクラブ公式HP上で発表した。

7月22日成績不振によりコスミン・コントラを解任、アシスタントコーチのリュー・ビンを暫定監督に充てる。8月24日にクラブより後任監督として元名古屋グランパスエイト監督、セルビア人のドラガン・ストイコビッチが就任する旨発表。契約期間は2017年シーズン終了まで。リュー・ビンはそのままアシスタントコーチとしてクラブに残留。またストイコビッチの要望で名古屋グランパスエイト所属、喜熨斗勝史コーチを8月25日付けでコーチとして招聘した。

2016年

ドラガン・ストイコビッチ体制で低迷していた広州富力を6位まで浮上させたが、50失点のため好成績とは言えずにシーズンは終了した。

2017年

2017年は守備に力を入れ、15勝7分8敗の成績であり、失点46得点56で安定した成績を残した。2年で低迷していたクラブを上位まで上げたため来シーズンも期待されていた。

2021年

2021年シーズンからクラブ名を「広州城足球倶楽部」(Guangzhou City Football Club)へ改名した。

2023年

経営難により中国超級リーグから除外され、3月29日に活動停止が発表された[1]

ダービーマッチ

同じ広州に本拠地を置く広州足球倶楽部との対戦は広州ダービーとなる。

タイトル

表彰

中国サッカー協会
超級リーグ

過去の成績

シーズン リーグ 順位 FAカップ
1998 超級リーグ 26 7 10 9 19 28 −9 31 10位 2回戦敗退
1999 超級リーグ 26 5 13 8 28 32 −4 28 11位 1回戦敗退
2000 超級リーグ 26 8 10 8 35 32 +3 34 7位 準々決勝敗退
2001 超級リーグ 26 2 1 23 23 69 −46 7 14位 2回戦敗退
2002 超級リーグ 28 8 10 10 34 34 0 34 11位 1回戦敗退
2003 超級リーグ 28 11 10 7 35 31 +4 43 5位 準決勝敗退
2004 超級リーグ 22 7 5 10 23 29 −6 26 8位 4回戦敗退
2005 超級リーグ 26 4 7 15 19 43 −24 18 13位 1回戦敗退
2006 超級リーグ 28 6 8 14 22 43 −21 26 13位 2回戦敗退
2007 超級リーグ 28 8 10 10 17 24 −7 34 10位 -
2008 超級リーグ 30 7 13 10 28 36 −8 34 11位 -
2009 超級リーグ 30 6 15 9 23 31 −8 33 14位 -
2010 超級リーグ 30 6 12 12 24 42 −18 30 16位 -
2011 甲級リーグ 26 13 8 5 36 27 +9 47 2位 2回戦敗退
2012 超級リーグ 30 13 3 14 47 49 −2 42 7位 4回戦敗退
2013 超級リーグ 30 11 7 12 45 47 −2 40 6位 4回戦敗退
2014 超級リーグ 30 17 6 7 67 39 +28 57 3位 4回戦敗退
2015 超級リーグ 30 8 7 15 35 41 −6 31 14位 4回戦敗退
2016 超級リーグ 30 11 7 12 47 50 −3 40 6位 準決勝敗退
2017 超級リーグ 30 15 7 8 59 46 +13 52 5位 準々決勝敗退
2018 超級リーグ 30 10 6 14 49 61 -12 36 10位 準決勝敗退
2019 超級リーグ 30 9 5 16 54 72 −18 32 12位 4回戦敗退
2020 超級リーグ 20 11位
  • 2020シーズンは新型コロナウイルス感染拡大の影響により、8チームずつ2つのグループに分かれて予選を行い、各グループ上位4チーム計8チームが優勝を争う決勝トーナメントに、下位4チーム計8チームが降格を争う残留プレーオフに進む形で開催された。

所属メンバー

2019年3月2日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK 程月磊
2 DF 鄒正
3 DF ドゥシュコ・トシッチ
4 FW 張功
6 FW 范雲龍
8 FW ムサ・デンベレ
9 FW 桂宏
10 FW ディア・サバ
11 DF 丁海峰
13 FW 叶楚貴
17 MF 張晨龍
18 DF 弋騰
19 DF 姜積弘
20 DF 唐淼
22 GK 韓佳奇
No. Pos. 選手名
23 MF 盧琳
25 GK 韓鋒
26 MF 馬俊亮
27 DF 晋鵬翔
29 FW 肖智
30 FW 王鵬
31 DF 王嘉楠
32 MF 陳志釗
33 FW 金波
34 DF 鄭智銘
35 MF 李提香
36 DF 黄政宇
37 MF 黎宇揚
39 FW 趙柯達
40 DF 陳偉銘

※星印は外国人選手を示す。

歴代監督

歴代所属選手

脚注

  1. ^ 广州城足球俱乐部宣布即日起暂停运营 广州市体育局回应” (中国語). 南方網 (2023年3月29日). 2023年3月30日閲覧。

外部リンク


広州富力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 22:24 UTC 版)

ドラガン・ストイコビッチ」の記事における「広州富力」の解説

2015年 2015年8月24日、広州富力の監督就任することを発表した2017年末までの契約となる。 2016年 リーグ50失点47得点という守備があまり機能していなかった。最終的に6位となった2017年 リーグ序盤良いスタートだったが2017年5月12日から6試合勝ち無し不調に陥る。しかし、最終的には4連勝し、5位となった。そして2017年末までだった契約更新した2021年末までとなる。 2018年 リーグ戦では49得点61失点でリーグワーストの2番目の失点多さであった順位10位。 2019年 リーグでは序盤から苦戦し、9勝5分16敗で成績安定おらず、さらに72失点というリーグワーストの守備になっていた。順位12位。 2020年 5シーズン指揮任されて、一時浮上した好成績残せなかった。2020年1月3日監督から退任することが発表された。

※この「広州富力」の解説は、「ドラガン・ストイコビッチ」の解説の一部です。
「広州富力」を含む「ドラガン・ストイコビッチ」の記事については、「ドラガン・ストイコビッチ」の概要を参照ください。

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