平田派の系図とは? わかりやすく解説

平田派の系図

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:20 UTC 版)

平田道仁」の記事における「平田派の系図」の解説

初代:道仁(どうにん彦四郎(1591-1646, 京都駿河府中二代:就一(なりかず彦四郎(?-1648/52, 駿河府中住) 三代:就久(なりひさ) 彦四郎(1616-1671) 四代:重賢(しげかた) 彦四郎(1663-1714、後に本常と号す) 五代:就門(なりかど) 彦四郎(1670-1757、後に本常と号す、江戸湯島住、この後一般彫金も行う) 長厚(すが ながあつ)(?-1723, 就門の弟子弟子としてただ一人七宝技術伝授される江戸武州武蔵国浄瑠璃坂住) 六代:就行(なりゆき市蔵(1718-1770、久蔵彦四郎とも号す) 七代:就亮(なりすけ) 市蔵(1765-1816) 八代:春就(はるなり) 友吉(?-1840) 春寛(はるひろ)(中村家中村弥兵衛)、春就の弟子加賀大聖寺住) 春将(はるまさ) 七兵衛大塚家、春就の弟子柳島軒と号す) 春次(はるつぐ) 七兵衛大塚家、春就の弟子春寿(はるとし)(内野家、春就の弟子一元子と号す) 九代:就将(なりまさ)・彦乗(?-1858, りょうぞう・げんじょう) 十代:春行(はるゆき彦四郎(1839-1895, 明治維新東京根岸に向上を経営し七宝彫物師として活躍。勲賞・賞碑を作る十一代:就之(なりゆき)(1895年明治28年家業継ぎ政府賞勲局ご用達として勲賞の製作に従事

※この「平田派の系図」の解説は、「平田道仁」の解説の一部です。
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