平田武仁説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 01:54 UTC 版)
『東作誌』等で、武蔵の父親を美作国新免氏の家老である平田武仁とする説が記されており、吉川英治の小説『宮本武蔵』などにも採用されたが、平田武仁は武蔵の誕生以前の天正8年(1580年)に死去しており、出典の史料における他の武蔵関係の記述も他史料との整合性を全く欠いており、武蔵に関しての史料価値はほとんど否定されている。ただ、無二が新免氏を名乗っていること、関ヶ原の戦いの後、美作新免氏の新免宗貫が無二と同じ黒田氏に仕官していることから、無二は黒田氏仕官以前に新免宗貫の家臣であったと考える研究者が多い。
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