市電との関係
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京都市電の前身である京都電気鉄道(京電)が堀川線を1900年(明治33年)5月7日、下ノ森電停まで延伸、西陣京極の南端である千本通中立売に千本中立売電停が開設される。1912年(大正元年)9月12日、千本線が千本今出川まで延伸、西陣京極の北端である千本通今出川に千本今出川電停、堀川線と交差する点に千本中立売電停、この2駅の間に西陣京極電停はつくられた。同年11月21日には、今出川線が開通し、千本線の千本今出川電停は今出川線の駅にもなった。 西陣京極電停は、千本座の正面に設置された。 京都市電堀川線は1961年(昭和36年)8月1日、千本線は1972年(昭和47年)1月23日、今出川線は1976年(昭和51年)4月1日にそれぞれ廃止された。京都市営バスが市電に取って代わり、千本今出川電停は千本今出川停留所、千本中立売電停は千本中立売停留所にそれぞれ代替されたが、西陣京極電停は廃止された。千本中立売停留所は、同電停よりも北、西陣京極電停よりは南に位置する西陣キネマの正面に設置された。 西陣長久座は堀川線廃止の1年前、千本日活館(かつての千本座)は堀川線廃止の3年後、西陣東映劇場は千本線廃止の年に閉館している。
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市電との関係
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京都市電の前身である京都電気鉄道(京電)が、東堀川通に中立売線を開通させたのは、1895年(明治28年)9月24日であり、このとき「堀川中立賣」「堀川下長者町」「堀川下立賣」の各電停が設置された。1900年(明治33年)5月7日には北野線が開業して「堀川中立賣」から下ノ森まで延伸し、1901年(明治34年)12月6日には堀川線が開業して「堀川下立賣」から堀川三条まで延伸して「堀川丸太町」電停が出来ている。北野線は、「堀川中立賣」の先の鉄橋で堀川を渡り、千本中立賣電停で西陣京極につながった。1912年(明治45年)6月11日には、京都市電丸太町線の千本丸太町・烏丸丸太町間が開業し、「堀川丸太町」電停は同線の電停にもなった。1918年(大正7年)、京電が京都市に買収され、中立売線・北野線・堀川線は、京都市電堀川線になった。 市電が走る東堀川通、堀川京極がアーケード街を形成した西堀川通、その間を流れる堀川は、3つともがほぼ同じ幅であった。 堀川京極が消滅して16年が経過したのち、堀川線は1961年(昭和36年)8月1日に全線廃止され、京都市バス50号系統に転換された。丸太町線は1976年(昭和51年)4月1日に全廃され、市バスに転換された。
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