市電の開業と競合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 05:32 UTC 版)
その後、この活況から京都市において別の電気鉄道を建設する構想が持ち上がり、44社にも及ぶ会社から申請が出された。市議会では道路拡張の資金を負担するのを条件に、そのうち数社に免許を交付する事を了承していたが、2代目市長であった西郷菊次郎の「目先の状況のみで、将来を見据えない判断をすべきではない」という主張を受けて、結局は市営で建設する事となった。この時、近いうちに京都電気鉄道を買収することも決められた。 市営による路面電車は京都電気鉄道とは別に建設する事となり、京都市電気軌道事務所によって1912年(明治45年)5月28日に第1期工事が完成、6月11日から4路線7.7kmの運行が開始された。なお、軌間は京都電気鉄道が1067mmの狭軌を採用していたのに対し、市は1435mmの標準軌を採用した。この時、市では道路拡張と同時に線路を敷設する施策を取り、その上で京都電気鉄道と並行する区間が存在することから、一部区間で軌道の共用を申し入れたが、市電の開業で減収となる京都電気鉄道はこれを拒否した。市は内閣の裁定まで用いてこれを何とか承認させたが、前述のように軌間が異なっていたため、共用区間では三線軌条が使用された。
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