市政史
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12世紀にはすでに24人の参事 (Ratsherr) からなる市参事会 (Rat) がこの街のトップを担っていた。1319年に新しい市庁舎が建設された。市参事の選挙はミヒャエルの祝日の次の月曜日と定められていた。1611年から24人の参事は、全市民の中から選出されることとなった。参事はその中から市長 (Bürgermeister) を選出した。1669年から市参事は16人に削減され、後にはさらに12人にまで削減された。1690年から市政制度は完全に刷新された。それ以後、市議会は、裁判長、2人の市長、法律顧問、市の行政部局長と、支配者層が選出する8人の議員によって構成されるようになった。ヴェストファーレン王国時代には Maire(市長)が市政にあたり、市町村議会がこれを補佐した。1831年に組織・行政規則が施行された。これ以後、1人の市長または1844年以降は上級市長 (Oberbürgermeister) をおくことが定められた。1852年の新しい市条例は再び市長を置くとしたが、1885年に上級市長という肩書きに戻された。第三帝国時代には党の市上級責任者 (Stadtoberhaupt) がこれに替わった。 1946年、イギリス管理地区の軍事政府はイギリスをモデルにした地方自治制度を導入した。その後、住民により選出された議会が組織された。この議員の中から議長と市の代表者を兼ねる上級市長が選ばれた。この職はかつては名誉職であった。この他に、1946年から、やはり議員の中から市行政を統括する専任の上級事務長 (Oberstadtdirektor) が選出された。ゲッティンゲンは2000年にこの2頭制を放棄した。それ以来、専任の上級市長だけが存在している。この地位は、市行政の統括者であると同時に市の代表者でもある。1999年の最初の選挙ではユルゲン・ダニエロフスキ (CDU) が選出された。彼は2000年1月1日に就任し、2006年11月1日に後任のヴォルフガング・マイヤー (SPD) にその職を引き継いだ。しかし彼は、自治体選挙後に選出された市議会議員によって選ばれる市議会議長の職には引き続き留まった。議長職は現在カタリーナ・ランカイト (SPD) が務めている。
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