市原時代
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1995年にジェフユナイテッド市原に加入。3月16日のJリーグ開幕戦からベンチ入りをして、3月29日の1st第4節横浜M戦でプロ初出場を果たす。4月からスタメンを勝ち取り、4月8日の1st第7節広島戦で初イエローカードをもらい、2枚目のイエローカードで初退場した。出場停止明けの試合でもスタメン出場し、4月22日の1st第10節横浜F戦でプロ初得点を記録。5月上旬から出場機会を失った。11月4日の2nd第20節広島戦で90分間フル出場を果たした。1年目で15試合出場1得点の成績を残した。 1996年には6月頃のナビスコカップからスタメンを獲得、それからは残りの試合を出続けるようになった。 1997年からの2年間は主力として出場し、1998年のナビスコカップでは決勝戦を含む全試合に出場を果たした。 5年目の1999年は、ゲルト・エンゲルスが監督に就任してから、ほとんど試合に出ることがなかった。5月29日の1st第15節磐田戦では79分から途中出場したがイエローカード2枚で90分に退場処分を受けた。その後、出場機会を減らした。成績不振でエンゲルス監督が解任され、2ndステージから新監督が就任すると、8月18日の2nd第3節からベンチ入りを果たした。9月18日の磐田戦でをでスタメン出場が4試合で途中出場が4回と1stステージよりは試合に絡めるようになったが、その年は9試合に出場しただけだった。
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