パベル・ジェハークとは? わかりやすく解説

パベル・ジェハーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 01:27 UTC 版)

パベル
2019年のジェハーク
名前
本名 パベル・ジェハーク
ラテン文字 Pavel Řehák
基本情報
国籍  チェコ
生年月日 (1963-10-07) 1963年10月7日(61歳)
出身地 ムラダー・ボレスラフ
身長 178cm[1]
体重 72kg[1]
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1991 スラヴィア・プラハ 151 (37)
1991-1994 古河/ジェフユナイテッド市原 69 (25)
1995-1996 東芝/コンサドーレ札幌 39 (16)
1997-1998 スラヴィア・プラハ 24 (3)
1998 ペトラ・ドルノヴィツェ 11 (0)
1999 横浜FC 20 (8)
通算 314 (89)
監督歴
2005 ヴィッセル神戸
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パベル・ジェハーク(Pavel Řehák, 1963年10月7日 - )は、チェコ出身の元サッカー選手でありサッカー指導者。日本における登録名はパベル

経歴

選手時代

ムラダー・ボレスラフで生まれ、10歳でプラハに転居[2]。新居がSKスラヴィア・プラハの敷地の近くだったことから自身もスラヴィアのファンになり、11歳からスラヴィアで本格的にサッカーを始める[2]。1984年にクラブとプロ契約を結ぶ[3]。スラヴィアでは25歳から2シーズンのあいだキャプテンも務めた[2]。U-21チェコスロバキア代表として4試合に出場した経験を持つ[2]

日本移籍の直前にはスペイン2部ヘレスへの移籍話があり、すでに現地に出向いてテストも行っていたが、移籍金の交渉でスラヴィアと折り合わず破談した[2]。1991年、日本サッカーリーグ(JSL)の最終シーズンに東日本JR古河(翌年からはジェフユナイテッド市原に改称)へ移籍。親会社の古河電気工業は当時アイスホッケー部を有しており、その監督がチェコ人のボフミル・プロシェクだったことから、彼のつてを頼って同国人のパベルの獲得が進んだ[2]Jリーグ開幕戦となったサンフレッチェ広島戦では1-2と敗北したが、ジェフユナイテッド市原の選手としてはJリーグで初めてゴールを決めた[4]。5月25日、第5節横浜マリノス戦では1ゴールを決め、5-0と勝利したが[5]、相手選手の野田知を肘打ちし、Jリーグ史上初めてレッドカードを掲示された選手になった[2]。また6月23日の浦和レッズ戦ではジェフ市原の選手としては初となるハットトリックを達成した[6]。31試合に出場して得点ランキング5位の16ゴールを記録した。

市原ではオルデネビッツマスロバルといった選手の加入により試合出場が減り[2]、1995年はJFL東芝サッカー部に2年契約で移籍[2](クラブは翌年移転してコンサドーレ札幌に改称)。札幌退団後は古巣のスラヴィア・プラハに復帰し、1997-98シーズンまでプレーを続けた[2]

引退から半年後、市原時代の同僚だったリトバルスキーから誘われる形で、彼が監督を務めるJFLの新クラブ横浜FCに選手兼コーチとして加入[2]。現役生活最終シーズンとなった1999年のJFLでは20試合8ゴール、第2節水戸ホーリーホック戦ではハットトリックも記録した[2]

指導者時代

引退後は古巣のSKスラヴィア・プラハでユース監督を経て、2001年からトップチームのコーチを務める[3]

2004年からは同じチェコ人のイワン・ハシェックが監督を務めるヴィッセル神戸のコーチに就任した[2][3]2005年4月に当初監督を務めた松永英機の解任とエメルソン・レオンの新監督就任が発表されると、パベルは新監督就任までのあいだ監督代行として1試合のみ指揮をとり[7]、レオンの監督就任後は現場から離れて育成部コーディネーターのポストに就いたものの[8]、そのレオンもわずか2ヶ月で解任された後現場に復帰、監督に就任した。

しかし、三浦淳宏播戸竜二など主力に故障者が続出したチームは低迷。パベルは主将の三浦知良(カズ)をスタメンから外し、さらに選手間の投票によって主将を選び直す(後任は三浦淳)[9] などしたが一向にチーム状況は上向かなかった。その後、カズは7月に横浜FCに完全移籍した。結局、チームは31節の大宮アルディージャ戦に敗れてJ2に降格。シーズン終了後に退任した。

2007年1月から古巣のSKスラヴィア・プラハでカレル・ヤロリーム英語版の下でアシスタントコーチに就任し[10]、2度のリーグ優勝(2007-08、2008-09)を経験した[10]。2010年6月からはリザーブチームの監督を務めた[10]

2011年8月、ヤロリームが監督を務めるサウジアラビアのアル・アハリのアシスタントコーチ就任が発表された[10]

2013年に再びSKスラヴィア・プラハに戻り、ジュニアチームのコーチを務める[10]。2018年からトップチームの監督に就任したインドジフ・トルピショフスキーチェコ語版の下でアシスタントコーチを務め、クラブの躍進を支え続けている[10]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
チェコスロバキア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1984-85 スラヴィア・プラハ 13 1
1985-86 18 3
1986-87 25 7
1987-88 26 4
1988-89 25 13
1989-90 20 2
1990-91 24 7
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1991-92 JR古河 27 JSL1部 22 8 0 0
1992 市原 - J - 9 3 3 2 12 5
1993 31 16 5 3 3 3 39 22
1994 16 1 1 0 0 0 17 1
1995 東芝 9 旧JFL 23 11 - 1 0 24 11
1996 札幌 16 5 - 3 1 19 6
チェコ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1996-97 スラヴィア・プラハ ガンブリヌス 14 3
1997-98 10 0
1998-99 ペトラ・ドルノヴィツェ 11 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1999 横浜FC 10 JFL 20 8 - 3 4 23 12
通算 チェコスロバキア 151 37
チェコ ガンブリヌス 35 3
日本 J 47 17 15 6 6 5 68 28
日本 JSL1部 22 8 0 0
日本 旧JFL 39 16 - 4 1 43 17
日本 JFL 20 8 - 3 4 23 12
総通算 314 89

その他の公式戦

指導歴

  • 2000年-2004年 SKスラヴィア・プラハ[3]
    • 2000年-2001年 ユース監督
    • 2001年-2004年 コーチ
  • 2004年-2005年 ヴィッセル神戸[3]
    • 2004年-2005年 コーチ
    • 2005年5月-7月 育成部コーディネイター
    • 2005年7月-12月 監督
  • 2007年1月-2011年 SKスラヴィア・プラハ[10]
    • 2007年1月-2010年 アシスタントコーチ
    • 2010年6月-2011年 リザーブ監督
  • 2011年-2012年 アル・アハリ アシスタントコーチ[10]
  • 2013年- SKスラヴィア・プラハ[10]
    • 2013年-2017年 ジュニアチームコーチ
    • 2018年- アシスタントコーチコーチ

監督成績

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
2005 J1 神戸 18位 24 12 2 6 16 - 4回戦
  • 2005年の順位は最終順位。

出典

  1. ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』p77
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 加部 2005
  3. ^ a b c d e パベル・ジェハーク監督帰国のお知らせ [ 神戸 ](05.12.14)”. J's GOAL (2005年12月14日). 2012年10月7日閲覧。
  4. ^ “’93Jリーグサントリーシリーズ 第1節第2日”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=51 2020年4月16日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  5. ^ “’93Jリーグサントリーシリーズ 第5節第2日”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=69 2020年4月16日閲覧。  {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  6. ^ “93Jリーグサントリーシリーズ 第12節第1日”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=105 2020年4月16日閲覧。  {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  7. ^ 【J1:第7節 大分 vs 神戸 プレビュー】前節に続き4バックで連勝狙う大分。成績不振で監督解任の神戸は、自信回復のためにも白星が欲しい。(05.04.22)”. J's GOAL (2005年4月22日). 2012年10月7日閲覧。
  8. ^ トップチームコーチングスタッフ編成変更のお知らせ [ 神戸 ](05.05.02)”. J's GOAL (2005年5月2日). 2012年10月7日閲覧。
  9. ^ 【J1:第15節 神戸 vs 清水 プレビュー】新キャプテン・三浦淳宏を中心に、神戸は待望の白星を挙げられるか?!(05.07.08)”. J's GOAL (2005年7月8日). 2012年10月7日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i Pavel ŘEHÁK Asistent trenéra”. SK SLAVIA. 2025年6月27日閲覧。

参考文献

  • 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
  • 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
  • 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-802-6
  • 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-805-0
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
  • 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-812-3
  • 加部究「海を越えてきたフットボーラー パベル・ジェハーク(ヴィッセル神戸コーチ)」『季刊 サッカー批評 ISSUE 26』、双葉社、2005、74-79頁

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

コンサドーレ札幌の選手 高原寿康  山瀬功治  パベル・ジェハーク  エリソン・ファグンデス・ドス・サントス  河合竜二
横浜FCの選手 秋葉陽一  竹中穣  パベル・ジェハーク  藤田祥史  平本一樹
ジェフユナイテッド市原の選手 栗原克志  アーノルド・スコルテン  パベル・ジェハーク  市原充喜  岸本浩右
チェコのサッカー選手 ヴラティスラフ・ロクヴェンツ  カレル・ポボルスキー  パベル・ジェハーク  ラデク・チェルニー  ヴァーツラフ・スヴェルコシュ
古河電気工業サッカー部の選手 江尻篤彦  平木隆三  パベル・ジェハーク  加藤好男  下川健一
東芝サッカー部の選手 エドアルド・アセベド  山路嘉人  パベル・ジェハーク  川勝良一  川合孝治
チェコのサッカー指導者 イワン・ハシェック  カレル・ポボルスキー  パベル・ジェハーク  ミラン・マチャラ  フランティシェック・ストラカ

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