岩本町古着市場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 09:47 UTC 版)
「繊維問屋街 (岩本町・東神田)」の記事における「岩本町古着市場」の解説
江戸時代、江戸市中において古着商を営む者は3軒に限られ、この3軒のいずれかの許可を得なければ新たな開店が出来ない状況であった。江戸時代の後半から、柳原土手には町人や商人も住み始め、古着を扱う床店(居住しない仮設の店舗・露天)が集まるようになった。 明治になり、新政府が商業の自由営業を認めると、古着商を営むものが増えていく。当時、和服の古着は洗い張りし、仕立て直しをして、着られるだけ着るのが庶民の習いであった。明治30年代頃までは、庶民に新品を買うまでの購買力がなかったため、古着の需要が大きかった。 新政府は明治6年に柳原土手を壊して柳原通りを整備した。明治14年6月、古着商162名が連署して古着市場を置くことを請願すると、政府は東竜閑町(現東神田1丁目)に「官製古着市場」を置くことを認めた。同年、運河の開削により久松町、富沢町、岩本町に分離したが、競争の中で岩本町が他を圧倒し、古着商が柳原通りに床店(居住しない仮設の店舗・露天)を並べるようになった。天候に関わらず午前6時から正午まで商売をした。最盛期には400軒の古着屋が存在したというが、大正12年の関東大震災で大きな被害を受けると、床店は取り払われた。
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