岡定俊
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岡 定俊(おか さだとし、永禄10年(1567年)-元和8年(1622年))は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。左内(さない)の通称で知られ、蒲生家、上杉家それぞれに重臣として仕えた。
注釈
- ^ イエズス会のジョアン・マテウス・アダミが作成した年次報告書によれば、1622年8月(西暦)に左内の子が死去し、その数日後に左内も事故死したと記している。父子揃っての突然死は直前のキリスト教棄教とともに真相は不明と言える。戸木城の戦いの時に18歳とすればこの時には56歳となる。
出典
- ^ 尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)P.224
- ^ 尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)P.272.
- ^ 尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)P.274-277.
岡野 左内(おかの さない)
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「山風短」の記事における「岡野 左内(おかの さない)」の解説
宇都宮の蒲生家から上杉家に仕官した豪傑の1人。キリシタン武将で、大きな経済力を持つ。
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