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山田栄一 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/19 15:16 UTC 版)

山田 栄一(やまだ えいいち、1908年5月10日 - 1995年1月10日[1])は、第三代シチズン時計社長(1946年 - 1981年)。静岡市出身[1]。旧姓鈴木。

経歴・人物

1908年、横浜に生まれる[要出典]静岡県立静岡中学校を経て[2]1931年東京商科大学卒業[1]。同年、三井生命入社、1937年シチズン時計入社[1]1941年シチズン時計取締役[1]1944年シチズン時計常務取締役[1]1945年シチズン時計専務取締役、1946年シチズン時計代表取締役社長。1968年藍綬褒章受章[1]1978年勲三等旭日中綬章受章、1981年シチズン時計会長[1]1986年シチズン時計取締役相談役、1987年、シチズン時計相談役。この間、シチズン商事社長、リズム時計工業会長を兼任[1]。戦後のシチズンを担い、セイコーに次ぐ国内第二の時計メーカーに育て上げた。

1974年 - 1976年日本時計協会理事長。 1958年 - 1994年経済団体連合会評議員。 1964年 - 1986年、同理事。 1963年 - 1986年、日本経営者団体連盟常任理事。

親族

  • 妻:山田八重子
  • 父:鈴木芳太郎 ※静岡県立静岡中学校卒業の同姓同名のプロ野球選手、鈴木芳太郎とは別人。
  • 母:鈴木せい
  • 二男:山田修:シチズンホールディングス常務、顧問、ニッセンホールディングス社外監査役。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『現代物故者事典1994-1996』 591ページ 日外アソシエーツ 1997
  2. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 54頁。

外部リンク

関連項目

先代
中島進次
シチズン時計社長
第3代:1946年 - 1981年
次代
山崎六哉


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