山村 雄一 (やまむら ゆういち、1918年 7月27日 - 1990年 6月10日 )は、臨床免疫学者 [1] 。大阪府 大阪市 天王寺区 生まれ[2] 。結核 を中心とした免疫学・医学研究に貢献した[1] 。長男は東海大学 医学部 教授の山村雅一[2] 。孫は吉本新喜劇 の信濃岳夫 。
1941年大阪大学医学部 卒[1] 。海軍軍医学校軍医科69期14班班長を務めた後太平洋戦争 中は日本海軍 の軍医として転戦[1] 。1949年大阪大学医学博士 。「結核菌の安息香酸代謝に就て」。1956年に国立刀根山病院 内科医長、1957年に九州大学 医学部生化学教授、1962年に大阪大学医学部教授、1967年に同大学医学部長、1979年から1985年まで大阪大学総長を務めた[1] 。
癌の免疫療法であるBCG-CWSを作る。
受賞・栄典 脚注
前身諸学校・大学長
野田義夫 1921-1927 隈本繁吉 1927-1935 金子幹太 1935-1938 石倉小三郎 1938-1941 佐々木喜市 1941-1943 伊藤達夫 1943-1948 事務取扱 杉浦寅之助 1948 森田淳一 1948-1950
事務取扱/校長 三浦菊太郎 1926/1926-1936 名須川良 1936 事務取扱 筧舜亮 1936-1937 安達貞太 1937-1947 森河敏夫 1947-1950
大阪薬学専門学校長 大槻弌 1917-1922 木村彦右衛門 1922-1925 大槻弌 1925-1935 吉木弥三 1935-1937 代理 大槻弌 1937-1938 松南千寿 1938-1946 村上信三 1946-1949 大阪大学附属薬学専門部長
大阪医科大学長
大阪府立高等医学校長 (旧制専門学校) 府立大阪医科大学長大阪医科大学長
大阪外国語学校長 中目覚 1921-1933 葉山万次郎 1933-1942 横山俊平 1942-1944 大阪外事専門学校長 横山俊平 1944 事務取扱 吉本正秋 1944 尾崎卓郎 1944-1946 事務取扱 稲村純一 1946 平沢俊雄 1946-1951 大阪外国語大学長 平沢俊雄 1949-1961 森沢三郎 1961-1965 金子二郎 1965-1969 事務取扱/校長 牧祥三 1969-1972/1972-1977 伊地智善継 1977-1982 林栄一 1982-1987 山田善郎 1987-1992 池田修 1993-1999 赤木攻 1999-2003 是永駿 2003-2007