山本七平の発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 06:28 UTC 版)
「イザヤ・ベンダサン」の記事における「山本七平の発言」の解説
当初『日本人とユダヤ人』の著者ではないかと言われることについて、山本は「私は著作権を持っていないので、著作権法に基づく著者の概念においては著者ではない」と述べる一方で、「私は『日本人とユダヤ人』において、エディターであることも、ある意味においてコンポーザーであることも否定したことはない。」とも述べている。 後に、1987年のPHP研究所主催の研究会では以下のように説明している 山本書店を始めた頃に帝国ホテルのロビーを原稿の校正作業にしばしば使用していたら、フランク・ロイド・ライトのマニアということがきっかけでジョン・ジョセフ・ローラーとその友人ミンシャ・ホーレンスキーと親しくなった。 キリスト教が日本に普及しないのはなぜかという問題意識のもと3人でいろいろ資料を持ち寄って話し合っているうちにまとまった内容を本にしたのが『日本人とユダヤ人』である。 ベンダサン名での著作についてはローラーの離日後はホーレンスキーと山本の合作である。 ローラーは在日米軍の海外大学教育のため来日していたアメリカのメリーランド大学の教授で、1972年の大宅壮一ノンフィクション賞授賞式にはベンダサンの代理として出席した。 ホーレンスキーは特許関係の仕事をしているウィーン生まれのユダヤ人、妻は日本人。 また、「『日本人とユダヤ人』は知り合いのユダヤ人からヒントをもらって自分が書いた」と山本から直接聞いたという証言 もある。
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